西日本豪雨に見た京都の守護神。日吉ダム

7/5から降り続いた雨で地元の京都は緊迫した状態になった。

6/18の大阪北部地震から2週間後にまた非難準備をする事になるとは思いもよらなかった。

地震発生時 6/18日月曜日 朝、子供達を送り出し会社へ車を走らせていた。 いつもは高速道路を使って会社まで行くの...

7月5日

正午前くらいからひっきりなしに京都市、宇治市の山側地域の土砂災害警報の緊急速報が届くようになった。

夕方には地元近くの桂川も避難判断水位を超え、山側では避難勧告も出始めたので、学童に電話をして「今日は集団下校をやめて迎えに行く」と伝えた。

仕事を終え、子供達を無事に回収し自宅に戻ったが、依然雨脚は強く、国土交通省のページで桂川の水位とその上流部にある日吉ダムの状況をずっとPCモニターに表示しつつ子供達とは普通に過ごしていた。

子供達を寝かせてPCモニターを見ていると、ある事に気付いた。

こちらの日吉ダム諸元表を見て欲しい

青枠の洪水時最高水位EL201.00mまであと8mのところまで水位が上がっており、直近40分のデータで1mの水位上昇している事がわかった。

日吉ダムは5日午前0時には赤枠の洪水貯留準備水位のEL178.03mを維持しており、同日22時までに約15m水位を上げている事が見てとれる。

22時の時点で全流入量は毎秒約983tだったが、23時時点では秒間1000tを超え、その後毎秒約1254tを記録している。

その頃


桂川が氾濫危険水位に到達。

すぐにハザードマップを確認する。

わが家は浸水時最大で3~5mの地域に該当する。

5mといえば2階はゆうに浸水する水位だ。

とりあえず大事な物を3階に移動させ備えた。

7月6日

この日、地域に避難勧告がでている事で小学校は休校になり、僕も仕事を休んだ。

その後日吉ダムは6日4時まで計画最大放水量の毎秒150tを守り続け、桂川の水位低下に貢献。


しかし

異常洪水時防災操作に移行し、放水量を増加したが、桂川の水位は減少傾向を続けていた。


おそらくだが、桂川流域全体の雨量や桂川が流れ込む淀川の水位も勘案しての操作だったのだと思うが、見事としか言いようがない。

しかし、そのギリギリの操作をあざ笑うかのように雨量が増し


再び氾濫危険水位を超えて避難勧告が出される地域がでてきた。

そして・・・


ついに洪水時最高水位に到達してしまった・・・

桂川の氾濫危険水位超えと、これから更に放水量が増える事を考えて、わが家では非常事態宣言を発令した。

幸い1週間程度の水と食料は備蓄しており、家自体が押し流されてしまうほどの勢いで水が迫ってくる地域ではないと考えたので、わが家の3階よりも低い位置にある避難所に行く事よりも自宅に居る事を選択した。

それとほぼ同時刻


今まで常用放水口で凌いできた日吉ダムのクレストゲート(ダム上部の非常用放水口)がついに開いた。

すぐに調べたが、5年前の大雨特別警戒が発表された台風18号による豪雨で最大流入量が毎秒1600t超、最高水位EL201.8m超えをした時にも開かなかったゲートを開けたことから、事態は想定を上回るレベルで起こっており、ひっ迫していると予想できた。

子供達と大事な物から順番をつけて3階に運び上げ、クーラーボックス2個を準備し、空きペットボトルに水を入れ、氷を作っておき

断水と停電を考えてお風呂と歯磨きを済ませるよう子供達に指示し、ありったけのライトとモバイルバッテリーを充電した。

一応自力移動しなくてはならなくなった時の事も考えて以下の物も準備した。

子供達の命を守る準備にやり過ぎはない。

クレストゲート開放以降、一時は毎秒900tを超える放水量になったが、流入量を上回らない範囲で放水は続き、貯水位は洪水時最高水位を超えEL201.4mに達した。

この時は亀岡でもまだ水位が下がっておらず、亀岡が沈んでしまうのではないかと思った。

因みに、クレストゲート開放で全開放流とか京都沈める気か!って騒いでた人がいるが、最大流下流量は秒間3600tなのでその情報は間違っている。

そして18:40頃

対象地域には含まれてなかったが、日吉ダム緊急放流に伴う緊急避難指示が近い地域で出た。

役所のサイレンもけたたましく鳴っている。

子供達に3人でお家を持ち上げて逃げようか?

と問うたところ

前が見えへんからムリ~!

との返答。

極力明るく振舞うようにはしていたが、わが子達はメンタルが強い(笑)

僕自身はいよいよかと覚悟したが、降雨量が少なかったのか桂川の水位は減少傾向になり、22時頃にはクレストゲートも閉じられた。

その後もダムと河川の状況を見ていたが、双方徐々に水位を下げながら7日を迎え、朝には桂川はもう大丈夫だろうと思える水位まで回復した。

まとめ

結果的に今回2日に渡ってダムの動きを見ていたわけだが、その操作の緻密さに感銘を受けた。

5日から増水傾向の1時間単位の報告では1度も放水量>流入量にならず、それは最高水位を記録しても変わらなかった。

放水量の方が多くなったのは7日の3時で、それから現在(7/8 20:00)もずっと毎秒約300tの放水量を刻み続け、再び空き容量を確保していっている。

嵐山で少し被害がでたようだが、流域平均累計雨量が500mmに迫る中、今回も日吉ダム職員さんの頑張り無くしてはここまで被害を抑える事ができなかったのは明白であると考える。

ご家族が避難地域に居られる方も多数いらっしゃったと思いますし、夜を徹しての調整作業、流域全体の予測、他の河川との連携に関わった方々、消防、警察、自衛隊、消防団他、関わった全ての方々へ深く感謝します。

今日の生活が保たれたのは貴方方が尽力してくれたからです。

平常水位に戻るまでもう暫くかかると思いますが、一息つけたらゆっくり休んで欲しいと思います。

それから西日本各地でまだまだ災害は続いており、救助や復旧に休み無くあたっている方々も大勢いらっしゃると思います。

大変ですが、なんとか頑張っていただきたい。

僕も微力ながら物資の提供と義援金で協力します。

最後に

日吉ダム職員さん達の努力の影にかくれてはいるが、京都府にはいろは呑龍トンネルという107,000㎥の水を貯留できるトンネルがある。(今後拡大する予定らしい)

それから、5年前の嵐山地区氾濫を受けての治水工事。

桂川流域の護岸工事。

これらがなく、日吉ダムの活躍だけでは桂川の氾濫や決壊を防げなかったかもしれない事を追記したい。

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